Saturday 30 June 2007

ルネッサンス期のゲイ術考・・・



『受胎告知』がやっぱり気になる。

Mind of Leonard・・・の続きです。


当時のヴェロッキォの工房は実はゲイ・コミュニティであった。て、言うよりもルネッサンス期の芸術家は殆どその趣味の人たちだ。

ちょっと調べただけでそのような事を書いた資料が出てくるので有名な話なのですね。
たくさんあるその他の例として・・・

アップした画像はミケランジェロの『昼と夜』ですが左側の女の人はどう見ても”付けパイをした男”にしか見えません。システィーナ礼拝堂の『最後の審判』製作時のエピソード
”絵が完成するのは、私が完成したと言った時だ!”
とは程遠い感じ。
もっとも、『昼と夜』は完成後仲間うちからも相当突っこまれたらしい。(ミケランジェロは女が下手だ)
このような不自然な彫刻でも堂々と飾られているのって、『受胎告知』の不自然さと同じだ。

ネットで調べてもワタシがクドクド言っている不自然さの答えが見つからない。
で、これ以後、勝手な想像になりますが・・・
当時、絵画や彫刻を作らせる事ができるのはお金持ち(実力者・メディチ家)か教会の高い地位の人。製作するのは美しさ?も実力も兼ね備えたレオナルド。完成した作品に若干の瑕疵があったとて、自分の寵愛する者の作品を愛がこもったまなざしで見るのだから気にもならない。
・・・というものではなかったかと。
『受胎告知』は教会の所有品の目録に入っていなかったという調査の結果もあるそうなので、教会関係者(もちろん高位)がパーソナルな感じで発注したものかも知れませんね。
ゲイの人たちが洒落ではなく芸術にすごい能力を発揮できるのは間違いない。前回の話にもかぶるけれど、著名なファッション・デザイナーも皆そうだ。まあヘテロの人もいると思いますが。
それでは何故、ホモセクシャルの人は・・・  また、今晩も寝れなくなっちゃう



Monday 25 June 2007

Grazie!...Arrivederci!..Gianfranco Ferre....

すごくフェレのスタイリングが好きだったな。

脳出血で亡くなったと聞いたけれど、まだ62歳だったんですね。最近の日本人の感覚からすると早死にかな?

やはり太りすぎは体に良くない。(反省)

GIANFRANCO FERREって、ミラノの3Gと言われる割りに日本ではメジャーではないような気がする。(あ、あくまでメンズ・ウェアーの話です。レディースのフェレの評判は存じ上げません。)

ヴェルサーチェの鮮やかな色彩を生かしたデザインとかゴージャスな素材には驚くし、アルマーニのドレープが効いて柔らかなラインも独特の世界がありますねー。

フェレはスーツとかジャケットなど基本的なアイテムのカッティングは素晴らしいもののスタイルはトラディショナルの感じが強い。だから、ちょっと地味な感じがしてブランドのスペシャルな感じが求められる日本では人気が盛り上がらなかったのかも。カジュアルに着る服も最近は遊びの少ないものが多かった気がする。素材は凄い物を使ったりしてますが。

見かけはトラッド(イタリアではクラシコ?)でも実は素材に凝っている感じがシックでいいんですよね。カラチェニの影響か?そして、マニッシュだけれど露骨にゲイっぽくないのも(笑)

オカマっぽいのがいやならバリバリのトラッドで行けばいいのですが、ワタシの見たところトラッドに飽き足らない人がイタリアンにハマるようです。雑誌のターゲットにされている"オヤジ"世代って若い頃はブルックス・ブラザースとか来ていた人なんじゃないかな。そういう、若い頃からファッションに興味のある人はフォースの暗黒面に囚われやすいと見た。(爆)



デザイナー本人が亡くなってブランドが存続するのか判らないけれどフェレの会社の人ガンバレー、みたいな(ちょっと柳原可奈子入ってます)

Tuesday 19 June 2007

What Is The Mind of Leonardo da Vinci ?....

フィレンツェからやってきた『受胎告知』を見に行きました。

上野・国立博物館『レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の実像』展。最近、上野によく行くなあ。

案外、上野好きってことでしょうか。

第一、第二と会場が分かれていました。第一会場(本館)は『受胎告知』の展示だけ。第二会場(平成館)はレオナルドの手稿を元に業績を検討するというものでした。『受胎告知』は比較的ゆったりと見ることが出来ました。作品を傷めぬようライティングは暗いのですが、ウフィツィ美術館より東京のほうが良いと聞きました。隅々まで見逃さないようじっくり暗さに目を慣らしてみてみると・・・

うーん、やっぱりマリア様の右手の書き方が変。右手を乗せている書見台の位置のせいかな?バックの建物などにも違和感が。ボロクソ(笑)

予習のつもりで『受胎告知』の写真をみた時に、? と思った部分はやっぱり ? でした。

おかしい!絶対不自然だ!というのも、ワタシみたいな絵画の素人が見てすぐに判るデッサンに狂いのある絵を、プライド高そうなイタリア人のレオナルド本人はモチロン、工房の親方ヴェロッキオがそのまま注文主の教会に納品(工房だから)したのでしょうか?その後の作品が素晴らしいので『受胎告知』は若描きであったと許されるのは現代の人の見方であって、大金を払って注文した当時の人が素直に受け取るとは思えないのだけれど。ワタシだったら書き直してくれと言うなあ。

『受胎告知』の1~2年後に部分的に書いた『キリストの洗礼』の天使なんて完璧じゃないスか。

クレームきますよ、普通。だから何かワケがあってそのままにしたとしか思えないんですけれどね。ワケとはなにか?全然わかりません。誰か教えて。工房の中で分業式に描かれたのかもしれない。作者のサインが入らない『ヴェロッキオ工房』作ってことか。

『マリア様の右手は私が描いたものではない』とレオナルド。(首をすくめるポーズ)

平成館の手稿を元にした展示は興味深かったのですがこちらは落ち着いてみる事が出来なかった。それでも『空気遠近法』の説明は良く判ったし、『スフォルツァ騎馬像』の部分的なレプリカだけでも迫力が感じられました。

『手稿を元に』とかかれていたので、あの鏡で見ないと判らないノートの本物が見られるのかと思ってましたが、こちらは実物の展示はありませんでしたのでがっかりしました。

本当にいろいろなことを研究していたのは良く判るのですが、案外と実を結んでないなというのが正直な感想です。これらの研究を元に絵画が描かれたとしてもその数は20枚ぐらいでとても多いとは言えない。500年以上前に自然科学などに目を向けた事自体が高く評価されるのでしょう。(それこそがルネッサンスだし)

ワタクシ的にはちょっと中途半端なヤツって感じ?ゴメンねレオナルド。

アップした写真はフィレンツェのチョコレート『ジャンデューヤ』こちらはしっかりと甘かった。

Friday 15 June 2007

HOKULE'A号訪問記2・・・



HOKULE'A号訪問の続きです・・・


前回で書いた船大工さんに修理をしてもらったエピソードはその後公式ブログを見たら『周防大島』の出来事だそうです。
船上で聞いた説明ではクルーのNIKAIDOさんは『Ohsima』としか言っていなかったので勘違いをしました。(日系の方のようでしたが英語で話されていましたので。)

そういえば沖縄海洋博のときにも航海カヌーで開会式にやって来ていた人たちがいたナー。
と、思って調べるとサタワル島から『チェチェメニ』というカヌーがやって来ていたんですね。

1975年当時はいちおう子供でありましたし、ハワイにも興味がなかったので両親と『いかだみたいなものでよく来たもんだ』なんて話す程度だった。
そこには高度経済成長を急ぐ日本人(ワタシ)から見たら、遥か南の海からやってきたとはいえ、小さな島の人たちを、正直言うとちょっと馬鹿にするような気持ちがあったに違いない。

でも、その時も現代的な航海計器を使わない航海であったわけですね。

サタワル島には後にホクレア号が初めてタヒチに航海するときにナヴィゲーターになった、マウ・ピアイルグという人など5人も『スター・ナヴィゲーター』が居たそうです。
この人達は航海に使う航路を『星の歌』として暗記しているそうです。記憶が良さそうだと子供の時にスカウトされて泊り込みで『星の歌』を覚えこまされるらしい。『サタワル島へ、星の歌』

ポリネシアン・ヴォヤージング・ソサエティ』でホクレア号のナヴィゲーターのナイノア・トンプソンも
ホクレア号が航海をすることで、ポリネシア人の文化レベルの高さを証明したいといっています。
ハワイ先住民の人達もワタシがテレビを見て『南の島から来た人』に対して思ったことを、肌に感じていたのでしょう。だからこそ4000年以上前からカヌーで航海するという形で、アフリカの大地からいちばん長い距離の人類拡散の旅をした民族の誇りを現在のハワイ・ポリネシアに取り戻そうとしているのでしょう。
ホクレア号が初めての航海でタヒチに着いたときは、歓迎をする人が盛り上がって独立とか革命になるのではと、宗主国のフランスが慌てたそうですから。

これからハワイの人たちは失った言葉も取り戻して、誇り高く生きていこうとしているのでしょう。
戦後、アメリカナイズされて民族の自信を失いかけているとしか思えない今の日本人にとっては学ぶところが多いように思えます。

古事記・日本書紀には弥生人が先住民である縄文人のことを書いてありますが、なかでも蝦夷という民族は『髪を椎(ツチ)のように結わい体中に刺青をしている』とあります。これってポリネシアの人の風俗と同じですよね。丸木舟というカヌーも持っていたし。

さらに最近の研究では、縄文人とポリネシア人のルーツは同じであることがほぼ判っているそうなので、もしかしたら日本人のハワイ好きは、体の中の遺伝子がもっと遠い航海の目的地に行きたがるからかもしれません。

ハワイに移民して事実上ハワイを支えた人たちも、ブラジルに移民された人たちもいろいろな苦労をされたでしょうが、もしかしたら人類拡散の終点という意味で本能的な達成感があったのではと思ったりしてしまいます。

韓流ブームにハマった人は渡来系弥生人の遺伝子が強いのかも知れません。


Thursday 14 June 2007

速報!・・・


月刊『電気店』・7月号に東原家電の記事が掲載されました!!
『ホームページ拝見』というコーナーで東原家電のウエブサイトをとりあげていただきました。
電波新聞社様、どうもありがとうございました。

Tuesday 12 June 2007

Finally!!   HOKULE'A号訪問記・・・




HOKULE'A号に乗船見学した。




ついに日本にやって来たHOKULE'A号を見学に行きました。ハワイからパラオ・沖縄などを経由して横浜に到着したのです。現在は横浜港のぷかり桟橋に係留されています。

午前10時から見学が始まると聞いたので早めに行きましたが、船に乗る人数に制限があり10時30分の回を待つ事に。天気が良かったので桟橋から海を眺めているだけでも気持ちよかったー。


喰いタンは見かけませんでした。

保険の関係・・・ということで名前と生年月日を記入した整理券を渡すのと交換に、ライフジャケットを着せられました。

『まさか、これを着るという事は、帆走とかしちゃったりする?』
という儚い夢はゴツイハワイ人クルーの

『落チルトアブナイカラツカマッテ』

の言葉に風に吹かれて沖の方へ。

全長20メートル、幅5メートルあるかないかぐらいの小さい船(本当はダブルハル・カヌー)だから桟橋に舫ってあっても割と揺れる。だからライフジャケット。

乗船するとワタシたちのグループは船の前後に二手に分かれて、クルーの説明を聞きました。

最初は航海中の船内の生活の様子、後部に移って現代の航海計器を使わないで海を渡る『スター・ナヴィゲーション』についてのレクチャーでした。

クルーが寝るところは左右のカヌーの中にマットがひいてあり上にはテントがかけてあるだけ。
航海中は天気のいいとき以外はキビシそう。

あちらこちらに字が彫りこんである。

これはこの船に協力してくれた人に感謝の気持ちを表すためだそうです。いちばん新しいものは大島付近でマストの部品が壊れた時に、修理してくれた大島の船大工さんの名前だといってました。

船上での説明が終わり、桟橋に上がると今回の航海を担当したスキッパーが質問に答えてくれました。航海で1番楽しいのは天気が良い時、みんなで楽器を演奏する時だそうです。



続く・・・



Sunday 10 June 2007

THE LIMEY....

『ClustrMaps』が動き始めた。


き、気になるっ!!イギリス方面の人っ!

どういう経過でワタシのブログにおいでになったのか?
ま、まあ何かの間違いで『次のブログ』ボタンを押してしまったに違いないとは思うものの・・・

リル・ビット・イクサイティング!ソデフレアウモタショーノエン。

書きたいことだけ書いておいて、後は野となれ、山となれ、みたいな感じでこのブログを書き始めたのです。あまりヨソ様にも言いふらさずにやっております。クールぶってます。

が、ほかのサイトで『ClustrMaps』を見て、無料だし、カラーの地図で賑やかな感じになるかなー、と思って貼り付けたのですが、最初の思惑と違いアクセスの数とかが気になるように。

ぜんぜんクールじゃ無い。これではいけないっ。

『ClustrMaps』横目で見つつも、掘った穴によしなし事を埋めていく地味な作業に徹するぞ。







Wednesday 6 June 2007

今年のトレンド(流行)・・・

麻疹が流行している。


予防接種を受けなくなった年代の人が罹っているのですね。予防接種を止めた途端に流行るなんて自然は正直だ。

江戸時代には『麻疹は命定め、疱瘡は器量定め』と言われていたそうで、医療技術も碌にないときですから命を失う危険もとても高かったのでしょう。
江戸で大流行して26万人以上が亡くなったという記録があるそうです。この数は火事やその他の病気(コレラやチフス)などで亡くなった人数では一番多いらしいです。
東京大空襲で亡くなった人の数が10万人位なので、まったく考えられない大惨事ですね。

棺を作る木材さえ足りなくなって、火葬にする事も出来ない。深川とか築地のあたりの海に水葬するしかなかった。(と言っても船から投げ込むだけ)

疱瘡(天然痘)だってかなり怖い病気だと思います。これも江戸時代ではポピュラー(?)な病気であったらしく、独眼流正宗が罹って目を失明したといわれてます。
命はとられなくとも、あばた(痘痕)が残るので女性には”器量定め”なんですね。

でも、好きになったら『あばたもえくぼ』に見えるなんてェ申しまして。

天然痘も根絶宣言が出ているけれど、地球上のどこかに存在していて再び人類を襲うかも知れない。アメリカとロシアあたりがウイルスを厳重に保管しているそうですが、テロにでも使われた日にゃあ、大困りものです。

そうそう、江戸時代にはマラリアも流行していて『瘧』(おこり)と呼ばれていました。江戸市中には今と違って水路が沢山あって、外国人は東洋のベニスと呼んでいたそうですから、蚊も夏には沢山いたのでしょうね。
その頃のマラリアは『土着マラリア』と言って、これも根絶しているそうです(ほんとか?)

温暖化によって、マラリアもまた流行るかもしれない。48時間おきとか72時間おきに熱にうなされちゃうぞー。

もう、うなされているって? 音楽が聞こえる?

それじゃあ
マラリア イズ バック ツー トウキョウ?!(それはマライアっ)

Saturday 2 June 2007

ClustrMaps....

『ClustrMaps』を貼りつけました。


見ればわかますよね。

毎回『思いつき』を書いて埋めていますが、どのくらいの人が自分の掘ったおとし穴にひっかかっているのかちょっとは気になりましたので。 まさか、ロバの耳をした王様一人だけではあるまい。わはは。

ページの一番上に『次のブログ』と書いてあるところ(そう、ソコです)をクリックすると、いきなりオヨソの国の方のブログに飛んでしまいます。
結構これはこれで楽しいのでよく見ています。(そのブログが書かれている言語がわかる人は読んでもらうと。)
アメリカの人(おそらく)などは自分の家族の写真をアップしている事が多い。沢山の人が見るであろうホームページなどには子供の画像は出さないものと思っていたので意外ですね。
アートな感じの見るだけでも楽しいブログもあったりして、何が書かれているのか読んでみたいがスペイン語。

毎回、『次のブログ』ボタンは飛んで行くブログが違っているので、『次』と言っても部屋のように並んでいるわけでもないようですね。

おお、そうすると、間違えて(間違えなきゃ来ないよな)いろんな国からも自分のブログのページにきているかもしれないゾ。

『ClustrMaps』だとそれもわかるのでおもしろそうですね。

どうなることやら。・・・We're Not Aloneなはずだ!きっと。

ああ、ブログのタイトルもインターナショナルな感じにかえたりして。