Saturday 30 August 2008
KABUKI....
あえて、ガチガチの歌舞伎のではない落語をベースにした演目を選んで観劇。それでも『連獅子』などトラッドな演目もあって午前中から午後2時すぎまで3幕の構成でした。子供も連れて行きましたので退屈しないかな?と心配もしましたが、後から聞くとすごく面白かったそうです。
1幕目の『女暫』はトラッドな『暫』を主役を女性に置きかえたもの。2幕目の『三人連獅子』もよくあるものですね。3幕目の『らくだ』は落語の『らくだ』ですね。これはもう時代劇で歌舞伎というよりお芝居です。この『らくだ』が目当てでしたので楽しみにしていたのですが、もう、場内大爆笑でウチの子供も恥ずかしいくらい大笑いしていました。
考えてみると、これはもう『ドリフ』だなと。舞台も廻るし(笑) 『連獅子』にしても獅子のコスチュームで踊るわけだからディズニー・シーの『ミスティック・リズム』と『乗り』としてはほぼ同じに感じられました。『生バンド』で演奏してるし。舞台を所狭しと踊るのですからね。『歌舞伎』に行ってきた、というと伝統芸能を見に行ってきたんですね、みたいな反応をする人が多い気がします。でも、『歌舞伎』側もなるべく堅苦しくなく見られるように工夫しているのが感じられて、木戸銭がもう少しお安ければもっと見に出かけたいと思いました。
『歌舞伎』を見ているときどうしてもやってみたいのが『大向こう』からの掛け声ですね。
『中村屋っ』『成駒屋っ』とかやってみたーい。注意してみていると声をかけるタイミングが難しそうだ。劇を観ながら『シミュレーション』してみましたが・・・
役者が舞台に出てくるとき、下がっていく時。これは大体分かる。あと、『見得』を切るとき。まあ、タイミングとしては分かりやすい。もうひとつ『木(拍子木)』が入るときもかけている。ただこれは、ここで木が打たれるというのを知っていなければかけられないわけです。役者並みに段取りがわかっていないと声をかけられない。でもって、どのような人がかけているのかとしらべてみると、
劇場公認の会が東京には三つあっておそらくこのどれかに入っている人が声をかけているのでしょう。でもそのような同好会にはいらなくても掛け声は出来るそうですが、間の悪い声のかけ方は顰蹙を買うにちがい無さそう。
毎日、『歌舞伎』を観るほどの『通』出なければ掛け声は難しそうで、事実、毎日『歌舞伎』を見続けている人もあるそうです。『大向こう』になってもお金がもらえるわけではないから、『働かなくても生活できる人』が『大向こう』になる条件だったんですね。
前回『歌舞伎』に行った時には、周りの観客の『お召し物』がすごくフォーマルでカジュアルな格好で行った自分が恥ずかしかったのですが、今回は着物の女性は勿論いらっしゃったものの、以前よりかなりくだけた服装の方が多かったのが意外でした。
Saturday 23 August 2008
9.69...
ウサイン・ボルト、速かったです。9.69秒でしたか。
オリンピック決勝も含めて13回しか100Mを走った事がないそうですね。しかもゴール寸前に流しているようにも見えた。ボルトは今まで1回も真面目に走ったことが無い、とボルトのコーチが言っているそうです。
もし、真面目に走ったら『9.5秒台』も夢では無いのだそう。しかし、他で聞いたところによると・・・
走っている時に足を動かす神経は、前に足を出す時には足の前側の筋肉は収縮の信号。後ろの筋肉には伸ばすように信号を送るそうなんです。このとき脳が緊張してしまうと前後の筋肉に同じ縮む、あるいは伸びる信号を出してしまい足の動きが悪くなって本来持っている性能が出せなくなってしまうらしいんです。といっても、一般人のレベルではまったく関係ないそうですが。
だから、少しばかりふざけて実力を出していないように見えるボルトのゴール直前の動きは脳をリラックスさせてスピードが鈍らないようにしているとも言えるんですね。
また、同じチームのアサファ・パウエルの身体を調べたNHKの番組で観たのですが、体の内部の太ももから腰の辺りについている筋肉が半端でなく太い。この筋肉は足を上に持ち上げるのに重要だそうで、ここが太いと速く足を持ち上げて走れるといっていました。
ジャマイカでは夕方になるとどこからともなく子供達が集まってきて走り始めるんだそうです。しかも坂道ダッシュを何本も。このへんからも選手層の厚さが伺われます。
多額の資金をかけて野球のチームを送るよりも陸上とはいわずとも地味な競技にもお金を出してあげて選手を育てればいいのに、とオリンピックを観て思いました。
Thursday 14 August 2008
When Our Town was Occupied in 1945...
『映像の世紀』を『YOUTUBE』で見つけることができました。
以下、ちょっとローカルなお話で申し訳ないのですが・・・
マッカーサーが厚木から横浜に向かう記録映像がYOUTUBEにあるときいていたんですがみつけられなかった。従兄弟が教えてくれてURLを送ってくれました。
厚木に到着したマッカーサーが横浜に向かう映像がこの番組で放送され、それを観たときにフィルムに映っている道はお店の前を通っている『伊勢原街道(あるいは長後街道)』なのではないかな?と思っていたのです。しかし、具体的にどの道を通って横浜へ行ったとは番組の中で言ってはいなかったので、映像を見ただけでは判らなかった。いくら近所とは言え映っている風景はワタクシが生まれる前のものですから。
このマッカーサーの車列が写されたシークエンスの最後に車両が停車している場面がでてきます。そこが『中田小学校』の少し長後よりのあたりであることが最近判ったのです。なぜかというと道路(といっても今とは違って未舗装の砂利道)の左側に『火の見櫓』が映っていますが、長後街道が拡幅されるまでは今の『もち吉』のあたりに火の見櫓があったのです。
そして現在の『千神麺』のあたりでトラックが脱輪だか故障だかして車列が停止したのだそうです。その時に現在の『ヤマザキデイリーストアー』があるところでマッカーサーが車から降りて、そこにあった井戸から水を飲んだといわれています。マッカーサーが水を飲むところを目撃した(!)方もいて、かなり信憑性の高い話だと思います。
そう考えてこの映像を見直してみると藤沢市から川を渡り横浜市泉区に入るところから始まり、中和田小学校前らしきところを通過して中田で停車したところまでの道すがらを撮影しているように見えます。昔の長後街道の風景を知っている人が見れば当時と一致しているかどうかすぐに判るはず!!どうでしょうか?
ワタクシの父親は『横浜大空襲』の翌日に、芋を蒸かしてリヤカーでお祖父さんと横浜市内に売りに行ったといっていました。黒焦げの死体が山になっていて、倒れて焼けた牛の肉をナイフで切り取って食べていた人が居たのを観たそうです。
母親は保土ヶ谷の峰岡町の山の上からB29の大群が飛んで来るのを観て、サーチライトに照らされた銀色の機体がとても綺麗だったと言っていました。墜落する飛行機が見えて、『敵が落ちた』と喜んでいたそうですが、『今から思うとアレは日本の飛行機だったのかしらねえ』とのんきな事を言っていました。
このようなことを話してくれる人(親)は『歴史の証人』あるいは『生きる昭和史』ですね。もっと色々な話を聞いておきたかったなあ・・・・