Friday 15 June 2007

HOKULE'A号訪問記2・・・



HOKULE'A号訪問の続きです・・・


前回で書いた船大工さんに修理をしてもらったエピソードはその後公式ブログを見たら『周防大島』の出来事だそうです。
船上で聞いた説明ではクルーのNIKAIDOさんは『Ohsima』としか言っていなかったので勘違いをしました。(日系の方のようでしたが英語で話されていましたので。)

そういえば沖縄海洋博のときにも航海カヌーで開会式にやって来ていた人たちがいたナー。
と、思って調べるとサタワル島から『チェチェメニ』というカヌーがやって来ていたんですね。

1975年当時はいちおう子供でありましたし、ハワイにも興味がなかったので両親と『いかだみたいなものでよく来たもんだ』なんて話す程度だった。
そこには高度経済成長を急ぐ日本人(ワタシ)から見たら、遥か南の海からやってきたとはいえ、小さな島の人たちを、正直言うとちょっと馬鹿にするような気持ちがあったに違いない。

でも、その時も現代的な航海計器を使わない航海であったわけですね。

サタワル島には後にホクレア号が初めてタヒチに航海するときにナヴィゲーターになった、マウ・ピアイルグという人など5人も『スター・ナヴィゲーター』が居たそうです。
この人達は航海に使う航路を『星の歌』として暗記しているそうです。記憶が良さそうだと子供の時にスカウトされて泊り込みで『星の歌』を覚えこまされるらしい。『サタワル島へ、星の歌』

ポリネシアン・ヴォヤージング・ソサエティ』でホクレア号のナヴィゲーターのナイノア・トンプソンも
ホクレア号が航海をすることで、ポリネシア人の文化レベルの高さを証明したいといっています。
ハワイ先住民の人達もワタシがテレビを見て『南の島から来た人』に対して思ったことを、肌に感じていたのでしょう。だからこそ4000年以上前からカヌーで航海するという形で、アフリカの大地からいちばん長い距離の人類拡散の旅をした民族の誇りを現在のハワイ・ポリネシアに取り戻そうとしているのでしょう。
ホクレア号が初めての航海でタヒチに着いたときは、歓迎をする人が盛り上がって独立とか革命になるのではと、宗主国のフランスが慌てたそうですから。

これからハワイの人たちは失った言葉も取り戻して、誇り高く生きていこうとしているのでしょう。
戦後、アメリカナイズされて民族の自信を失いかけているとしか思えない今の日本人にとっては学ぶところが多いように思えます。

古事記・日本書紀には弥生人が先住民である縄文人のことを書いてありますが、なかでも蝦夷という民族は『髪を椎(ツチ)のように結わい体中に刺青をしている』とあります。これってポリネシアの人の風俗と同じですよね。丸木舟というカヌーも持っていたし。

さらに最近の研究では、縄文人とポリネシア人のルーツは同じであることがほぼ判っているそうなので、もしかしたら日本人のハワイ好きは、体の中の遺伝子がもっと遠い航海の目的地に行きたがるからかもしれません。

ハワイに移民して事実上ハワイを支えた人たちも、ブラジルに移民された人たちもいろいろな苦労をされたでしょうが、もしかしたら人類拡散の終点という意味で本能的な達成感があったのではと思ったりしてしまいます。

韓流ブームにハマった人は渡来系弥生人の遺伝子が強いのかも知れません。