Sunday 12 August 2007

The Man Who Came Back from War....


蝶の舌 ゼンマイに似る 暑さかな            『芥川龍之介』
もうすぐ『終戦記念日』。
仕事でお客様へ伺うとお年寄り(失礼)から戦争の話を聞かせてもらう事があります。
『シンガポール陥落のとき市内に入ると、死んだイギリス兵が半ズボンだったのが可笑しかったな。』
『山下泰文将軍に会ったけれどもアンタぐらいの背丈だったな。大柄でかっこよかった。』
『体が大きい人は重機関銃を撃たされるんだ。敵をなぎ倒すようにやっつけるけれど、向こうからも狙撃兵が狙って来るんだ。』
『だから、機関銃を撃つ奴は頭を伏せて下向いているから半分も当たらなかった(笑)』
『隊長の少尉が『突撃ー!』って言うんだけれども、弾がビュンビュン飛んで来るから誰も塹壕から出ないわけ。出たら一発で終わりだからね。隊長も怒ってるんだけれども、本人だって突撃しない(笑)。』
『それでも、突撃した時、走っていたら弾が太ももに当たったんだよ。やられたと思って『天皇陛下万歳』って叫ぼうかと思ったんだけれど、すごく痛くて『お母さん!』って、言ったなぁ。』
『敵の弾が鉄兜に当たったと思ったら、当たった角度のせいか、弾が鉄兜と頭の間でらせん状にぐるぐる回って頭の皮がずる向けになった奴がいたよ。』
『丘の上のほうから狙撃兵が正確に撃ってくるのが怖かった。』
『爆弾の落ちてくる音で、近いのか遠いところに落ちるか判る。』
『近くに落ちそうなときは、耳を手でふさいで口をあけるんだ。』
終戦記念日が近付くと、テレビでも戦争関連の番組をやっている。でも、実際に戦争へ言った人が経験を話すのを聞く事はない。
『戦争で人を殺してきた話を聞いても・・・』みたいな感覚があるのかもしれない。
戦場の体験を思い出すのも嫌だという人もいるでしょうが、もう少しそういう人たちの話が取り上げられてもよい気がする。
戦争をして、犠牲者をたくさん出したことを反省し、二度とそうならない努力をするのはとても大切なことですね。これを大前提として、もうそろそろ、戦争自体の理論的な見直しが必要だと思います。
戦争を体験した人に負けた原因を聞いてみると、たいてい現場(戦場)で勝ち目の無さを実感している。戦いに行くのと、死にに行くのとでは違うのに、日本の兵隊は戦う事さえ出来ずに死んでいったといってた人がいた
『根性がいくらあっても、撃つ弾が無ければ戦争も出来ないよ』
人が戦争で死ぬことが美化されてしまっている今の日本では、死んだ人にスポットが当てられている。それも大事な事ですが、戦場に国民を送り出して、戦死させた当時の日本の状況も理解しないと、再び、何も知らないままに戦場に連れて行かれるようになってしまうかもしれない。