Thursday 29 April 2010

あのあたりは江戸さんの土地・・・

オオーッと、頭ぶつけないでね。


車中、ラジオを聴いていたら『江戸』の意味は川とを表す『江』と、入り口を表す『戸』で、『川の入り口』ということである。と言っていました。

これは、今ひとつばっかり解せない話だなあ。

日本は小さい島国であるのに山地の割合が多く、降水量も多い。だから、大小の川は無数にあるわけですね。

『川の入り口』で『江戸』と名つけるのなら、日本全国そこら中に『江戸』という地名が古くからある事になります。しかし、まったくと言っていいくらい『江戸』以外に『江戸』という地名は無い。

茨城県の那珂川のあたりで『江戸崎』というのが有ったり無かったり。

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鎌倉幕府を記録した『吾妻鏡』には、江戸時代以前の『江戸』のあたりには『江戸重長』という実力者がいた、と書かれています。13世紀頃ですね。

その一族の苗字が、丸子・六郷・飯倉・渋谷で、今日まで続く地名になっている。15世紀ごろにはもっと沢山に分かれて、中野・阿佐ヶ谷・桜田・鵜木・金杉小日向などと名乗る者が出てきている。

支配している人の名前がこんなに地名になって残っていることからも、『江戸』の始まりはそこに『江戸さん』がいたからだと思います。

余談ですが、現在の新橋から日本橋あたりまでは半島状になっていて、太田道灌が作った『江戸城』の目の前まで入り江だったんだそうです。そこを家康が『神田山』を削って埋め立てた。

今の東京駅の丸の内口を出たあたりは当時は波打ち際で、対岸の(今は皇居の)崖の上に粗末な江戸城が見えたのでしょう。

海苔などを養殖する為に浅瀬に木や竹の杭を突き刺したものを『ヒビ』と言うのだそうですが、『ヒビ』が立っているような浅瀬を埋め立てたから、『日比谷』と言うらしいです。

ちなみに当時の『地主』は鎌倉の円覚寺であったそうです。