Friday 6 March 2009

『晴れの舞台』という装置・・・

鼻歌は『ジンギスカン』




行ってみたいな。『リオのカーニバル』。

よく聞く話は『リオのの人はカーニバルのためにだけ生きている』というヤツですね。まあ、ワタクシも大人ですから、この話はちょっと大げさだろうと思うのです。ほかにも何かやることはブラジル人にもあるだろうと。

ただ、最近の日本では『ハレ(晴れ)』と『ケ(文字変換できず)』の境目というか、『差』が少なくなっているのに対し、ブラジルにはまだ『ハレ』の舞台として『カーニバル』が大きな役目を持っているのかと想像したりしなかったり。次の『カーニバル』に向けてまた1年生きていくエネルギーが得られているのでしょうか?

社会全体が豊かになったのか、季節感が薄れたのか判りませんが、自分らが子供の頃みたいにお正月とか、ひな祭りなどイベントフルな年間行事が家庭レベルでも盛り上がりに欠けてきている。

外食なんて、昔の(ワタシの)家庭にとって大変な出来事、イベントであったのに、自分が大人になってみると普段着のままで出かけたりします。ワザワザ遠くに出かけなくても近所にお店がたくさん出来たというのも関係あるかもしれないけれど。

ちょっとお洒落して(したつもりで)出かけたものです。いまだにそんな感じなのはサザエさんの磯野家くらいですか。

日々生きていくエネルギーが少なくなってくることを『ケ』が枯れる、『ケガレル』というそうです。

ちょっとしたことを面倒くさがらずに盛り上げることが、『ケ』の時間を生きるためのエネルギーを得る秘訣だったのかな?でも、『カーニバル』みたいに年1回ではワタクシには少なすぎます。

10回は欲しいス。