『映像の世紀』を『YOUTUBE』で見つけることができました。
以下、ちょっとローカルなお話で申し訳ないのですが・・・
マッカーサーが厚木から横浜に向かう記録映像がYOUTUBEにあるときいていたんですがみつけられなかった。従兄弟が教えてくれてURLを送ってくれました。
厚木に到着したマッカーサーが横浜に向かう映像がこの番組で放送され、それを観たときにフィルムに映っている道はお店の前を通っている『伊勢原街道(あるいは長後街道)』なのではないかな?と思っていたのです。しかし、具体的にどの道を通って横浜へ行ったとは番組の中で言ってはいなかったので、映像を見ただけでは判らなかった。いくら近所とは言え映っている風景はワタクシが生まれる前のものですから。
このマッカーサーの車列が写されたシークエンスの最後に車両が停車している場面がでてきます。そこが『中田小学校』の少し長後よりのあたりであることが最近判ったのです。なぜかというと道路(といっても今とは違って未舗装の砂利道)の左側に『火の見櫓』が映っていますが、長後街道が拡幅されるまでは今の『もち吉』のあたりに火の見櫓があったのです。
そして現在の『千神麺』のあたりでトラックが脱輪だか故障だかして車列が停止したのだそうです。その時に現在の『ヤマザキデイリーストアー』があるところでマッカーサーが車から降りて、そこにあった井戸から水を飲んだといわれています。マッカーサーが水を飲むところを目撃した(!)方もいて、かなり信憑性の高い話だと思います。
そう考えてこの映像を見直してみると藤沢市から川を渡り横浜市泉区に入るところから始まり、中和田小学校前らしきところを通過して中田で停車したところまでの道すがらを撮影しているように見えます。昔の長後街道の風景を知っている人が見れば当時と一致しているかどうかすぐに判るはず!!どうでしょうか?
ワタクシの父親は『横浜大空襲』の翌日に、芋を蒸かしてリヤカーでお祖父さんと横浜市内に売りに行ったといっていました。黒焦げの死体が山になっていて、倒れて焼けた牛の肉をナイフで切り取って食べていた人が居たのを観たそうです。
母親は保土ヶ谷の峰岡町の山の上からB29の大群が飛んで来るのを観て、サーチライトに照らされた銀色の機体がとても綺麗だったと言っていました。墜落する飛行機が見えて、『敵が落ちた』と喜んでいたそうですが、『今から思うとアレは日本の飛行機だったのかしらねえ』とのんきな事を言っていました。
このようなことを話してくれる人(親)は『歴史の証人』あるいは『生きる昭和史』ですね。もっと色々な話を聞いておきたかったなあ・・・・